ラブライブ!The School Idol Movie 感想

2015年06月17日 20:49

13日の劇場版公開に合わせて、劇場版ラブライブ!「ラブライブ!The School Idol Movie」を見てきたので感想を述べたい。

当ブログをご存じならお察しの通り、LumiLia管理人はえろげ畑の人間であり、ラブライブと関わったのは1,2期のアニメ以来だ。単独ライブには一度も参加していない(映像も含めて)。
強いていえば、μ'sメンバーの中の人2人の別の名前に興味があったり裏が引退間近であることをもどかしく感じている…そんなところだ。ちなみにめぐちぃと卯衣さんいるA-RISEの方が注目している位である。

LumiLiaは、これまでのアニメの1期、2期に対して、否定的な見方をしてきた。大型コンテンツ特有のリスクヘッジを念頭にした無難な構成や、完結を全く感じさせない終わり方をしていたからだ。そんな中、今回の劇場版は友人に誘われ特に期待を抱くことなく見に行った。

※本記事はネタバレ全開です
結論から言えば、
予想外に面白かった。

その理由は大きく2点。
・これまでμ'sの話は完結させて綺麗に、区切りをつけた
・構成として様々な解釈の余地を残す構成を許容したため


劇場版はアニメ1,2期に対する補足、蛇足ではない。
終了直後、まず「ここまでの区切りを2クールでやろうよ」と口走った程、μ'sの物語の起承転結を見るためには、「1期→2期→劇場版」として流れが必須である構成に仕上がっていた。とすれば、初めから製作はこの構成を念頭に置いてこのコンテンツを構築されていた。この事実に感心した。


■序盤:ニューヨークの自由と個
アニメ「ラブライブ!」の大きな特徴に一つが、特定の場面において焦点を当てるべき一部を細かく描き、それ以外は荒が出ても気にさせない割り切った姿勢が貫かれている点だ。
つまり視聴段階で、論理よりもテーマ性を意識した作りとなっていること、要所でどこを見るべきかを認識しておく必要がある。

NYでの話は、μ's、本質的には穂乃果にしか焦点があたっていない。だからライブシーンを何度も出して"聴衆"を意識させるシーンは無いし、突然ミュージカルのようなライブシーンが始まった。μ'sのメンバーが何を感じたかだけを描いており、場面転換で日本に戻った時、初めて「ライブは成功して人気が出た」という外的な要素が初めて前に出てくる。前述した、ラブライブの王道的手法だ。

さらには、某音楽アニメの劇場版がロンドンを舞台にしたように、海外の街を出す作品は多くあるが、ことさら自由の象徴であるNYを出してきたことに私は面白さを感じた。自由の女神に上るμ's(女神)なんて洒落が効いているじゃないか。

多様な価値観が集まり、せめぎ合う米国において自由の思想、それを担保する個人主義をもっとも強く感じるのがニューヨークという街である。ニューヨークをわざわざ舞台といした理由には、日本と米国の社会で大きく異なる"集団と個人性の差異"を、そのままμ'sとそのメンバーに適応させ、この街が今のμ'sと対極にあることを示すためだったのではないだろうか。

大人になるということは、一人になる、自立することであると思う。高校から大学に入って、同じ趣味を共にしてきた人たちがやがて社会に出て、次第に会う機会も減って、ばらばらになっていく。学校、サークル、会社、家族…集団の形が変わっていく中で、自分という個人と向き合う時が来る。

これまでのμ'sの描かれ方を振り返ると、全員がいつも一緒にいた。これは同時にμ'sのメンバーが、集団から離れる強さを持ち合わせていないということでもあるように見えていた。
今回のNYという舞台の存在は、序盤のホテルを間違えたグループ毎の行動や、穂乃果を待っていたメンバーの態度も含めて露骨に集団という概念を意識させる作りだ。

μ'sの中で一歩先を見るに至り、個への意識に踏み出し始めていたのが穂乃果である。
言語が通じない街で一人迷い、行き交う人に見向きもされない穂乃果はμ's、そしてその人気とは対極の、一人だった。
そして彼女は一人、個である未来の自分と向き合うことになる。

穂乃果が一人はぐれたのは、すでにμ'sに対する答えを出していた8人に対し、穂乃果一人が迷っていたという暗喩であるとも捉えることが出来る。その一方で、ニューヨークを出した意味はμ'sが終わった後の未来を予感させるものだったと思っている。
日本に戻りA-RISEのツバサに問われた穂乃果がμ'sを続けようと揺らいだ「(みんなに)求められているから続ける」という理由は建前にしか見えない。ただ今という時間を続けたい、皆で一緒にいたいからという本音を隠してのものだった。
将来を見据え、自らと真剣に向き合ってA-RISEを続ける結論を出したツバサからは、穂乃果の発言はひどく簡素に、また本音が見通せたはずだ。ああ、だから表情が険しかったのか。

彼女らはいつまでも集団でいることが出来るか、後半のμ'sを続けるかどうかの選択は、集団であることに対する想いと考えが本質であると私は考えた。


■シンガーに対する解釈は、個人に委ねられる
さて、外的要因を出さないNYパートの序盤で唯一出てきた異常な存在が、高山みなみが担当したシンガーだ。
仲間や家族と頑なに会わなかったことや、突拍子のない出逢いと再会が描かれたこと、泊まっていた場所を知っているような表現は彼女の存在が、未来の穂乃果であると想起させるには容易い。また、外的な存在を出さなかったNYの中で、シンガーが出てきた事態そのものが、そもそも外的ではなく内的な存在、未来の穂乃果であることを裏付けているように思える。

LumiLiaは、シンガーはμ'sを続ける選択肢を選んだ未来の穂乃果なのではないかと最終的に結論付けた。仲間の話になった時に話を濁しながらも、懐かしむようになんとも苦い表情をした顔は、μ'sを続けることを選びながらもその未来が叶わなかった穂乃果であると私に思わせた。そして今の穂乃果は後半、「跳べるよ」という彼女の導きでμ'sを続けないもう一つの選択肢に至った。

シンガーが忘れ、穂乃果の物となったマイクが将来にわたって使われ、将来の穂乃果がまた次の穂乃果へ継がれるシナリオは判りやすく整合的だが、その解釈を示さなかった理由は、私はあのシンガーが、μ'sを続けない今の選択肢を選んだ結果の未来だと思いたくないからだ。一人で夢を追い続けた結果があのNYでの路上ライブだなんて、あまりにも現実的で、悲しいではないか。

シンガーに対する解釈は今後決して答えが示されることはないと思う。
ただ、筋が通る仮説に至る余地を残している構成そのものが面白い。


■μ'sは今の中で
劇場版の結末は、未来をスクールアイドルという上位の概念に託し、μ'sそのものは終わらせるというもの。ラブライブがなぜ本タイトルに終着するかを綺麗に回収し、μ'sの物語は劇場版でさっくりと終わった。

最後の曲の歌詞における「今が最高」という部分は、今を最大限に楽しもうという彼女らの考えだ。私には、この意図するところはμ'sのメンバーがおぼろげながら将来において、今の状況が続くことはないと分かっているのだと思った(9人がずっと共にいるわけではない)。だからその時が来て状況が変わってしまっても、その時々を楽しむ必要がある。その精神と覚悟が「今が最高」に現れているのだと。
直接的に言えば、この劇場版をみている我々においても、今この環境がいつまで続くかは分らないけれど、その中で最大限挑戦して、楽しめと、そういうことなのではないだろうか。

シンガーの存在を考えよう。あれが劇場版そのまま未来とするならこの決断はμ'sにとって良かったのか。ああ、確かにμ'sのメンバーが夢を追うことを諦めるような理由にぶつかって、一人一人がバラバラになるように事態に陥った時、歌手を強く最後まで続けられていそうなのは穂乃果なのかな……。
ラブライブ1,2期は「僕らは今の中で」で飛んで飛んで高くと触れられているように高く跳ぶことが主眼に置かれたμ'sのサクセスストーリーであった。
劇場版は跳べるかどうか、跳ぶべきかどうか、終わらせる決断を描く物語だった。


ラブライブってこんなに現実的だったっけ?


劇場版を通じて、世界は大きく広がった。我々視聴者の目線はμ'sからスクールアイドルという存在へ。ラブライブサンシャインへの準備は万端だ。

本記事においてここまで書いたこと━━━━大事なのはこれらの解釈は、全て個人に委ねられ、公式から答えは用意されることはない点だ。
どれも筋が通るようにはなるから、答えは無数に用意される。
1,2期ではなかったメタフィクション的発想にも至れる余地を、敢えて許容した点を私は高く評価した。

あなたの解釈はいかがだろうか?






最後に、まだ整理が付いていない点が終盤のラストシーンでメンバーが競争した際に、穂乃果の前に1枚の花びらが落ちてくるシーン。
1期1話など、花びらが舞い散る描写は作中に多くみられているが、これが何を指したものだったのか、腑に落ちる整理が付いていない。
とりあえず品種を特定して花言葉を調べる必要があるのかなと思った。


余談:
・やってくれたな花田ェ…(なお、LumiLiaはゼノグラシア大好きです)
・序盤のセントラルパーク、タイムズスクエア。旧リーマン本社と見覚えのある風景(ry
・NYライブシーンの衣装センスはどうなの()
・TOHOシネマズ日本橋のスクリーン7のプレミアムシート、初めて使用したけど座り心地は無論、視界に広がるスクリーンの臨場感や高さが最適で、今までで一番満足度が高い映画館だった。
・高山みなみの声を聞いた時の僕「奏かな?」(シンフォギアネタ)
・結果だけ見るとラブライブで勝ち抜いたμ'sが活動を終わらせ、A-RISEが活動を続けたというドラマ
・お前らライブのにこにーパートで靴投げるなよ…
・めぐちぃ卯衣ちゃん小鳥居夕花春乃いろはーーーーー!!!(モブキャラもとても良い声で
・NYのシーンのライブパートはいずれも唐突に入ったけれど何かのミュージカル?
・一部ぶん投げましたすいません


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