2013年09月05日 23:40

2013年7月に発売されたNavel「乙女理論とその周辺-Ecole de Paris-」の感想を述べたい。
本作は昨年発売された「月に寄りそう乙女の作法」の続編である。昨年プレイしたつり乙をLumiLiaは女装ゲーの鉄板と、一際高い評価を下しただけにFDに対する期待は大きかった。
Navelの傾向からみて1年程度でFDが発売されることは予想されていたが、1年経たずしての登場は過去最速であり、それはまさしく作品の人気の高さ故であろう。
※以下、ネタバレ全開です
■ビジュアル
CG枚数は66枚とそれ程多くはない。キャラクター別ではりそな16枚、メリル20枚、エッテが18枚、その他10枚。りそなさんメインヒロインなのに不遇という。
……これは鈴平がBerry'sで忙しかったんじゃないですかね。
塗りの質はつり乙よりもかなり向上しており、西又絵でその傾向が顕著。特にメリル、エッテの髪に自然さは素晴らしくエッテの瞳の蒼は見ていると吸い込まれるようだった。
西又絵はエロCGだけ人体の構図が崩れているような気が……
メリルちゃんは天使、笑顔が大変可愛い娘なのですが

……

…………

………………
メリルちゃん泣き過ぎwwwwwwwwwwwww
これはNavelの意志を感じざるを得ない。
立ち絵は服飾を舞台にしているだけあり、冬物のコートを始めとした各キャラクターの服装にはファッション性があって秀逸さを感じる(りそなに関しては旧作を思い起こさせるものであるが)のですが、西又ヒロインルートのメリルフィリコレ衣装は微妙だったのではないかと。
立ち絵の表情も結構豊富で結構なのですが、

サスペンド復帰時、視線を逸らされているとなんだか辛くなるのは私だけでしょうか?
■音楽
BGMは全体的に非常に品質が高く、音質面でも文句なし。左右に音が広がり、一音一音に精細感があります。
新曲として追加された「地下アトリエのパリジェンヌ」は大蔵兄弟のここぞというところでの雰囲気を一段と盛り上げ、華麗なる大蔵一家を象徴した「エドの晩餐会」はおもわずニヤリとしてしまう耳に残る名曲。
ボーカル曲も伝統的アッチョサウンド。
ただし、残念ながら声の録音はあまり良くない。音の輪郭が荒く、りそなやエッテの声が一部クリップし、全体的にこもったような音に感じました。
息のかかるような声色ではマイクの存在を感じずにはいられなかった。つり乙のタイトル画面のBGMは「乙女理論とその周辺」だったのですね。
■声
素晴らしい。
つり乙で卯衣に手を出したNavelは、遂に、車の人、アグミオンに進出。Navel御用達の陣営も揃えながら、キャストには全く違和感を感じない。
りそなさんは声を張り上げるところでやや小鳩ボイスになっていた気がする。

車の人の「付いてんじゃん」「革命だー!」「パリったぁい!」、それに七つの罪を一度に吐き出す台詞が録音モノ。
アグミオンは泣き演技が半端なかった。まさかこのためにメリルちゃんを3回も泣かせたのか!…よくやった!
あと忘れてはいけないのが大蔵衣遠ですね。これ以上ないほどの適役と言ってよいだろう。
笑い声を聞いているだけで噴くし、和解シーンで奥に震えを持たせながらの独白には感情移入させられるものがあった。
その他サブキャラの金子母のヒステリックぶり、リリアーヌさんのマジキチ熱演も見事で、隙がない。
…唯一、メリルルートの幼女シスターだけはネタ方向に走ったなぁと思ったけれど。なんだあの棒は。
声質的にはヴァレリアさんの声が新鮮で、今後も聞けたら良いな。
■エロ
衣遠「前作の状況を知りながら、愚かなるプレイヤーはそんな俗物を期待していたというのか…クク、ククク」

すいません。
…ということで、エロはあってないようなもの。エッテに至ってはギャグに昇華されており、この方面で期待してはいけない。
物語に深く組み込めば、純性たるメリルが大人になる…といった意味で痛がる描写も当然のこと。おかげでまったく使えません。
CGについては特に西又絵の骨格は違和感があったかな。あとりそなさんの胸はこんなにあったかという大問題が。
遊星君は中性的…どころか、ついに精通未経験という設定にまで昇華してしまった。
朝日の姿でする時は、構図もヒロインより、朝日が中心です。
祖父特典のドラマCDによると、つり乙メーカーアンケートで一番人気のあったシーンがルナルートで主従関係を選択した後のアレだったということなので、本作のボリューム層が何を求めているのかは言わずとしれたことだろう。
…私はマイノリティなのですね!
■システム
機能性に文句なし。特にコンフィグ画面やバックログから戻った際も音声の再生が継続されるのは非常に便利。他社でも搭載してほしいと感じる。
Navelのシステムが優れているのは、立ち絵変化時のラグ発生がほとんどないこと、コンフィグ画面移行時のモーションにストレス感がないこと。
画面との同期が取れているので、Apple UIのようなヌルヌルな動作を感じさせる。
昨今のエロゲでも立ち絵変化のラグが嫌で、エフェクトをオフにせざるを得ない作品が多いので、乙女理論の動作は理想的だと思う。
■シナリオ
これは体験版をプレイした段階で多くの人が感じたことだと思うのだが、
あれ、乙女理論は重くて、鋭いぞと━━━━。

月が寄りそう乙女の作法では、あくまでルナという圧倒的に大きな存在があって、桜小路家の絶対的な庇護下で、遊星(朝日)はのびのびとした日常を過ごしていた。つり乙に存在した悪意、といえば大蔵衣遠の存在であろう。
しかし、乙女理論は違う。つり乙の時に目をそらしていた大蔵家の存在が出てくる。さらに現実までもが牙を向く。桜小路家という箱庭から外の世界に出れば、こんなにも多くの悪意があって、それがむき出しで襲い掛かってくるのだ。
Navelが体験版において容量1,5Gという大ボリュームでクリスマスまで踏み込んで公開したのには、「つり乙よりも重いけど耐えられますか」というメッセージなのだと思った次第であった。
そんな重い話を広げながらも、懸命に立ち向かう主人公たちを見て、どこか勇気付けられつつ、美しい世界観を感じずにはいられない。
乙論の設定は女装、人間関係、家柄━━━━何から何まで私たちの生活とはかけ離れているのだけれど、ファンタジー要素は一切無く、根本には才能や努力、愛といった、普遍的なテーマが根付いている。
乙女理論はりそなの物語だ。そして物語が始まる段階のりそなは、ルナのように強くはないし、才能が開いてもいない。乙論はつり乙と離陸地点を異にしている。
未だ羽ばたいていないりそなの世界が周辺にいる様々な人物によって広げられ、彼女は成長し、やがて才能が開花していく。努力によって成長する人間の姿は誰が見ても美しいものだ。だから共感が出来る。乙女理論ではこの傾向がつり乙よりも強い。通常ならば起こりえないほど優しく、理想的な流れはまさに物語という空想の感覚を強く覚えさせるものでもあるが、面白いものは面白いのである。
つり乙は、意思が希望を生み、希望が夢を育て、夢が世界は変えるという。けれど自分で開く世界には上限があって、だからより広い世界に変えていくために、人は寄りそうのだ…と、いわば俺つばよりも指向性が付加された作品だと考えている。ルナの下に寄り添い、遊星が延び延びと過ごす優しい世界である。乙論は、世界を広げるために寄りそうべき存在は一人ではなく、その周辺にいる何人もの人々であると、さらに現実に踏み込みつつ、視野を広げ、世界が広がりを表しているのである。
とてもわかりやすく前に出ていた「愛」の概念は、本作をプレイしていて、頭から離れざるを得ないテーマだ。
家族愛、兄弟愛、友愛、郷土愛、祖国愛、隣人愛、無条件の愛…要するに、本作における衣装の価値は、愛の幅、深さによる所が大きかった。ルート毎に違ったテーマの愛が描かれている。これはヒロイン陣だけではない。ネタキャラに昇華したリリアーヌですら祖国愛の塊なのだ。
キャラクターはつり乙とは違う方向を狙ったからなのか、地味といわざるを得ない。特に、りそなルート中盤でルナ様一行が登場した1週間を見て、ああ、陽の当たる世界とは日本校だなと、相対的な平坦さが目立った。
メリル×エッテの百合関係を除き、ヒロイン間の関係(友情を感じさせる描写が少ない)や朝日とのつながり(大蔵家の苗字や日本人というだけでのつながり)が薄いことも要因だろう。敢えてやっていたとも思えるが、ディートリンデやリリアーヌが絡むシーンも少なかった。
恋愛観は、つり乙とは趣を変えてきたと感じた。遊星が男であることの重みが低くなり、男女間の障壁が低くなっていたと思う。純粋さを持ちながら恋の自覚に至ったメリル、そしてメリル推しから驚くほど切り替えの速さをみせたエッテにとって、好きな人が男性であったことは都合の良い事実でしかなかった。
攻略キャラは実質3人であるが、コンセプトが異なっており、一人はギャグルートでつり乙宜しくボリュームも少なめだが、私的にはバランスの良さを感じるところもあって許せると感じた。
▼りそなルート
本ルートの見所は二つ、大蔵衣遠と遊星兄妹の和解、そしてりそなの成長にある。
最後には成長したりそなの下に人が集まり、乙女理論と、その周辺を描かれる。
ピークは大蔵衣遠との和解であり、それ以降は広げた風呂敷の回収に終始したと捉えている。
衣遠と大倉家の確執、遊星との和解は乙女理論において最も秀逸なシーンであり、感極まった。
大蔵兄弟の和解に強い感動を抱いてしまうのは、強固な思想を基に覇道を歩む衣遠が遊星達を信用し、手を借りたことであり、今までの"極めて論理的な建前"と"根源的な感情を基にした本音"の差に人間性を強く感じたからであった。
そして自らの存在を肯定するための才能至上主義でありながら、その下に否定されるべき大蔵家の血統、しかも遊星のデザイン画によって才能と兄に対する思いを認めざるを得ないという皮肉な事実を、衣遠は素直に受け入れた。こんな綺麗なことは、普通は出来ない。その潔さに、衣遠の誇りと優秀さを感じるのであった。

このテキストを読んで震えましたね。
以降は重けれど重さなど感じない展開である。大蔵兄が味方にいる、それだけながら圧倒的な安心感の下で、りそなの飛び立ちを見守ることになる。
リリアが本性を表す夜の学校シーン。リリアが本性を見せても、衣遠が背後にいるおかげで全く怖くないという。
それどころかロッカーに隠れて犯人を待ち構えている衣遠を想像する。なんて兄弟想いなのだ!
ただ周辺の人々の協力を得てりそなの才能が花開いていく描写は美しく気高かったが、最終的な結末がフィリアコレクションでの衣装にまとめられてしまい、かつラスボスとも言えるリリアーヌの器が小さかったことで、話のスケールはどんどん小さくなっていってしまった。
りそなの衣装を見た金子母が今まで間違っていたと改心し、総裁がりそなを党首にすると決断する展開もあっさりし過ぎでご都合主義を感じるものである。
アンソニーの火事エピソードも唐突で、広げすぎた風呂敷を折りたたむ上での一行程に感じられてしまった。
つまり制作時間が足りなかったことを匂わせるには充分だった。

中盤のりそな・遊星の危機的状況下で救世主的に登場したルナ様は、完全に本作メインヒロインであるりそなを食っていたように思う。
この展開をつい最近みたような……そう、レミニセンス━━━━
咲き始めは華やかに、役目を終えるとさっと散る桜のようであった。
最後を締めるりそな渾身の衣装は本人の触覚も含めておもわず「バーストリンク!」と叫びそうだった。
▼メリルルート

大蔵家の血が家のしがらみに捉われず、才能を開花するとこうなるという例。大蔵家凄い。
メリルちゃんは天才…もとい天使だった。本当にメリルの純粋性によって支えられているルートだと思う。
シナリオが進めばメリルの周辺を取り巻く愛は、修道院のマザーに対する親子愛から大蔵家の血筋であることが判明した家族愛、そしてコレクションのテーマとなった隣人愛と深化していく。メリルの才能も飛躍していったのだ。
大蔵富士夫側の兄弟にもスポットが当てられており、正気ではいられない大蔵家において衣遠と駿河がどう適応していったのか、明確に描かれている。駿河、アンソニー共に敵でありながら憎めないキャラクター作りは見事だ。
▼エッテルート
ギャグルート。シナリオ量はりそなやメリルに比べて格段に少ない。というより、りそなルートを終えてからエッテルートに進むとエロ→エロ→晩餐会→エンディング…と飛ぶようだ。
話の整合性も結構無理がある。隣の部屋から遊星の声が聞こえた…としつつも、隣の部屋に居て聞こえるってどんだけ耳良いの?とか遊星とりそなは電話の時は日本語で話しているんじゃなかったの?といった疑問が平気で浮かぶ。こういう点を一切無視して本ルートを眺めると、昔からのNavelらしさある笑えるルートだった…といえるのではないか。
男バレ発覚以降のエッテのSっぷりを始めとして、大蔵家への嫁入りがトントン拍子で進むコミカルなノリ、そしてエッテの顔芸。勢いのある台詞回しで爆笑である。軽快な気分で楽しめる。
(まさか大蔵家の納得のよさは他ルート共通とは思わなかったが…)

特に「パリったぁい!」に糞笑ったが、本編では使用されないと宣伝されていたあのフレーズもここに隠されていたのだ。(シーン名:「パリってる?」)
エッテはとにかく善人だ。身近な人に対して与えられる幸せになれば、自分も幸せを感じる。先ほどの話で言えばエッテの愛とは友愛だ。
それは朝日と同じ感性であり、だから彼女は朝日に惹かれた。朝日が男性であることが発覚した際━━同じ感性の男で、今後同じ人に合える確率━━彼女は考えて、あの行動に出たわけだ。
メリルが天使であれば、エッテは人間的な魅力が光る。メリルに向いていた感情をすっと変えた所、その理由を彼女自身の恋愛哲学を織り交ぜながら朝日を論理的に説き伏せるその姿はフランス人そのものであった。
おそらく制作時間があればシナリオはもっと濃いものに出来ただろう。あわよくば、もう少し彼女が報われることが出来なかったのか。LumiLiaは思う。
だが、りそなとメリルのルートが重いだけあって、エッテルートの軽さは雰囲気を明るくし、結果として乙論のバランスの良さに貢献している。
4人の内2人は許せない。だが3人の内1人なら許せる。この感覚はなんとなくおわかり頂けるのではないだろうか。
▼その他ルート
執事エンド、これは女性向けエンドという印象。
キャラクターは弱かったものの、もっと充実したドイツ人ルート、及び地味にロシア人ルートが欲しかったのは私だけでしょうか。

総評:85点
重い話とは裏腹に、テーマは底知れない明るさを持っている。重い所から、だんだんと優しい方向へ、その流れには開放感がある。プレイヤーの心を暖かく包み込み、少しだけ人生を楽しいものと感じさせてくれるのではないだろうか。
━━ああ楽しかった!
つり乙に残された伏線を回収した良作。本質的なテーマはとてもこっ恥ずかしいのに、それが人間ドラマとしてヴェールがかることで高い品質の読み物に仕上がっている。
乙女理論を通じて伝えたかったことは伝わってきた。一方で細部、エッテルートを始めとして、総裁や金子母の納得もあっさりしすぎで、まとめ切れていなかった印象は拭えない。シナリオの完成度はまだまだ高められる余地は合ったのではないかと思う。本作の中心にいるべきはりそなであるはずなのだが、大蔵家の人々の個性が強すぎて、大蔵家とその周辺と揶揄されてもしょうがなかった。
シナリオの粗は残るものの、主要人物の作りこみは見事というほかなく、いずれも魅力あるキャラクターに仕上がっていることで高い水準の品質が維持されていた。
…我々もエロゲーへの愛をわすれてはならないですね!その意思がやがて世界を変えるのです。(…とつり乙は言っている)
■つり乙アペンド
・ルナ…私は恋人関係を選ぶ。乙女理論とは異なった形での兄との和解に寂しさを覚えた。
・ユーシェ…ですわー。ですわー……。
・湊…万人受けする性格、というか湊の良い娘っぷりは本当何なのだろう。ところで八王子さんの特徴ある声はみなづき蓮ですかね?
・瑞穂…花ノ宮家ということで、いずれ絶対に出ると思ったセカジョヒロインが出てきてしまった(立ち絵はなかったが)。討つべし討つべし討つべしで糞笑った。
・大蔵衣遠様の一日…エイプリルフール企画で爆笑したネタだが、衣遠の心情に真に迫ったルートでもある。自らの思想が大蔵家に縛られ、その矛先が遊星に向いていることを衣遠が自覚しており、後悔という選択肢があった事実が判明した点で秀逸。あととんかつ食べたい。
CG枚数は66枚とそれ程多くはない。キャラクター別ではりそな16枚、メリル20枚、エッテが18枚、その他10枚。りそなさんメインヒロインなのに不遇という。
……これは鈴平がBerry'sで忙しかったんじゃないですかね。
塗りの質はつり乙よりもかなり向上しており、西又絵でその傾向が顕著。特にメリル、エッテの髪に自然さは素晴らしくエッテの瞳の蒼は見ていると吸い込まれるようだった。
西又絵はエロCGだけ人体の構図が崩れているような気が……
メリルちゃんは天使、笑顔が大変可愛い娘なのですが

……

…………

………………
メリルちゃん泣き過ぎwwwwwwwwwwwww
これはNavelの意志を感じざるを得ない。
立ち絵は服飾を舞台にしているだけあり、冬物のコートを始めとした各キャラクターの服装にはファッション性があって秀逸さを感じる(りそなに関しては旧作を思い起こさせるものであるが)のですが、西又ヒロインルートのメリルフィリコレ衣装は微妙だったのではないかと。
立ち絵の表情も結構豊富で結構なのですが、

サスペンド復帰時、視線を逸らされているとなんだか辛くなるのは私だけでしょうか?
■音楽
BGMは全体的に非常に品質が高く、音質面でも文句なし。左右に音が広がり、一音一音に精細感があります。
新曲として追加された「地下アトリエのパリジェンヌ」は大蔵兄弟のここぞというところでの雰囲気を一段と盛り上げ、華麗なる大蔵一家を象徴した「エドの晩餐会」はおもわずニヤリとしてしまう耳に残る名曲。
ボーカル曲も伝統的アッチョサウンド。
ただし、残念ながら声の録音はあまり良くない。音の輪郭が荒く、りそなやエッテの声が一部クリップし、全体的にこもったような音に感じました。
息のかかるような声色ではマイクの存在を感じずにはいられなかった。つり乙のタイトル画面のBGMは「乙女理論とその周辺」だったのですね。
■声
素晴らしい。
つり乙で卯衣に手を出したNavelは、遂に、車の人、アグミオンに進出。Navel御用達の陣営も揃えながら、キャストには全く違和感を感じない。
りそなさんは声を張り上げるところでやや小鳩ボイスになっていた気がする。

車の人の「付いてんじゃん」「革命だー!」「パリったぁい!」、それに七つの罪を一度に吐き出す台詞が録音モノ。
アグミオンは泣き演技が半端なかった。まさかこのためにメリルちゃんを3回も泣かせたのか!…よくやった!
あと忘れてはいけないのが大蔵衣遠ですね。これ以上ないほどの適役と言ってよいだろう。
笑い声を聞いているだけで噴くし、和解シーンで奥に震えを持たせながらの独白には感情移入させられるものがあった。
その他サブキャラの金子母のヒステリックぶり、リリアーヌさんのマジキチ熱演も見事で、隙がない。
…唯一、メリルルートの幼女シスターだけはネタ方向に走ったなぁと思ったけれど。なんだあの棒は。
声質的にはヴァレリアさんの声が新鮮で、今後も聞けたら良いな。
■エロ
衣遠「前作の状況を知りながら、愚かなるプレイヤーはそんな俗物を期待していたというのか…クク、ククク」

すいません。
…ということで、エロはあってないようなもの。エッテに至ってはギャグに昇華されており、この方面で期待してはいけない。
物語に深く組み込めば、純性たるメリルが大人になる…といった意味で痛がる描写も当然のこと。おかげでまったく使えません。
CGについては特に西又絵の骨格は違和感があったかな。あとりそなさんの胸はこんなにあったかという大問題が。
遊星君は中性的…どころか、ついに精通未経験という設定にまで昇華してしまった。
朝日の姿でする時は、構図もヒロインより、朝日が中心です。
祖父特典のドラマCDによると、つり乙メーカーアンケートで一番人気のあったシーンがルナルートで主従関係を選択した後のアレだったということなので、本作のボリューム層が何を求めているのかは言わずとしれたことだろう。
…私はマイノリティなのですね!
■システム
機能性に文句なし。特にコンフィグ画面やバックログから戻った際も音声の再生が継続されるのは非常に便利。他社でも搭載してほしいと感じる。
Navelのシステムが優れているのは、立ち絵変化時のラグ発生がほとんどないこと、コンフィグ画面移行時のモーションにストレス感がないこと。
画面との同期が取れているので、Apple UIのようなヌルヌルな動作を感じさせる。
昨今のエロゲでも立ち絵変化のラグが嫌で、エフェクトをオフにせざるを得ない作品が多いので、乙女理論の動作は理想的だと思う。
■シナリオ
これは体験版をプレイした段階で多くの人が感じたことだと思うのだが、
あれ、乙女理論は重くて、鋭いぞと━━━━。

月が寄りそう乙女の作法では、あくまでルナという圧倒的に大きな存在があって、桜小路家の絶対的な庇護下で、遊星(朝日)はのびのびとした日常を過ごしていた。つり乙に存在した悪意、といえば大蔵衣遠の存在であろう。
しかし、乙女理論は違う。つり乙の時に目をそらしていた大蔵家の存在が出てくる。さらに現実までもが牙を向く。桜小路家という箱庭から外の世界に出れば、こんなにも多くの悪意があって、それがむき出しで襲い掛かってくるのだ。
Navelが体験版において容量1,5Gという大ボリュームでクリスマスまで踏み込んで公開したのには、「つり乙よりも重いけど耐えられますか」というメッセージなのだと思った次第であった。
そんな重い話を広げながらも、懸命に立ち向かう主人公たちを見て、どこか勇気付けられつつ、美しい世界観を感じずにはいられない。
乙論の設定は女装、人間関係、家柄━━━━何から何まで私たちの生活とはかけ離れているのだけれど、ファンタジー要素は一切無く、根本には才能や努力、愛といった、普遍的なテーマが根付いている。
乙女理論はりそなの物語だ。そして物語が始まる段階のりそなは、ルナのように強くはないし、才能が開いてもいない。乙論はつり乙と離陸地点を異にしている。
未だ羽ばたいていないりそなの世界が周辺にいる様々な人物によって広げられ、彼女は成長し、やがて才能が開花していく。努力によって成長する人間の姿は誰が見ても美しいものだ。だから共感が出来る。乙女理論ではこの傾向がつり乙よりも強い。通常ならば起こりえないほど優しく、理想的な流れはまさに物語という空想の感覚を強く覚えさせるものでもあるが、面白いものは面白いのである。
つり乙は、意思が希望を生み、希望が夢を育て、夢が世界は変えるという。けれど自分で開く世界には上限があって、だからより広い世界に変えていくために、人は寄りそうのだ…と、いわば俺つばよりも指向性が付加された作品だと考えている。ルナの下に寄り添い、遊星が延び延びと過ごす優しい世界である。乙論は、世界を広げるために寄りそうべき存在は一人ではなく、その周辺にいる何人もの人々であると、さらに現実に踏み込みつつ、視野を広げ、世界が広がりを表しているのである。
とてもわかりやすく前に出ていた「愛」の概念は、本作をプレイしていて、頭から離れざるを得ないテーマだ。
家族愛、兄弟愛、友愛、郷土愛、祖国愛、隣人愛、無条件の愛…要するに、本作における衣装の価値は、愛の幅、深さによる所が大きかった。ルート毎に違ったテーマの愛が描かれている。これはヒロイン陣だけではない。ネタキャラに昇華したリリアーヌですら祖国愛の塊なのだ。
キャラクターはつり乙とは違う方向を狙ったからなのか、地味といわざるを得ない。特に、りそなルート中盤でルナ様一行が登場した1週間を見て、ああ、陽の当たる世界とは日本校だなと、相対的な平坦さが目立った。
メリル×エッテの百合関係を除き、ヒロイン間の関係(友情を感じさせる描写が少ない)や朝日とのつながり(大蔵家の苗字や日本人というだけでのつながり)が薄いことも要因だろう。敢えてやっていたとも思えるが、ディートリンデやリリアーヌが絡むシーンも少なかった。
恋愛観は、つり乙とは趣を変えてきたと感じた。遊星が男であることの重みが低くなり、男女間の障壁が低くなっていたと思う。純粋さを持ちながら恋の自覚に至ったメリル、そしてメリル推しから驚くほど切り替えの速さをみせたエッテにとって、好きな人が男性であったことは都合の良い事実でしかなかった。
攻略キャラは実質3人であるが、コンセプトが異なっており、一人はギャグルートでつり乙宜しくボリュームも少なめだが、私的にはバランスの良さを感じるところもあって許せると感じた。
▼りそなルート
本ルートの見所は二つ、大蔵衣遠と遊星兄妹の和解、そしてりそなの成長にある。
最後には成長したりそなの下に人が集まり、乙女理論と、その周辺を描かれる。
ピークは大蔵衣遠との和解であり、それ以降は広げた風呂敷の回収に終始したと捉えている。
衣遠と大倉家の確執、遊星との和解は乙女理論において最も秀逸なシーンであり、感極まった。
大蔵兄弟の和解に強い感動を抱いてしまうのは、強固な思想を基に覇道を歩む衣遠が遊星達を信用し、手を借りたことであり、今までの"極めて論理的な建前"と"根源的な感情を基にした本音"の差に人間性を強く感じたからであった。
そして自らの存在を肯定するための才能至上主義でありながら、その下に否定されるべき大蔵家の血統、しかも遊星のデザイン画によって才能と兄に対する思いを認めざるを得ないという皮肉な事実を、衣遠は素直に受け入れた。こんな綺麗なことは、普通は出来ない。その潔さに、衣遠の誇りと優秀さを感じるのであった。

このテキストを読んで震えましたね。
以降は重けれど重さなど感じない展開である。大蔵兄が味方にいる、それだけながら圧倒的な安心感の下で、りそなの飛び立ちを見守ることになる。
リリアが本性を表す夜の学校シーン。リリアが本性を見せても、衣遠が背後にいるおかげで全く怖くないという。
それどころかロッカーに隠れて犯人を待ち構えている衣遠を想像する。なんて兄弟想いなのだ!
ただ周辺の人々の協力を得てりそなの才能が花開いていく描写は美しく気高かったが、最終的な結末がフィリアコレクションでの衣装にまとめられてしまい、かつラスボスとも言えるリリアーヌの器が小さかったことで、話のスケールはどんどん小さくなっていってしまった。
りそなの衣装を見た金子母が今まで間違っていたと改心し、総裁がりそなを党首にすると決断する展開もあっさりし過ぎでご都合主義を感じるものである。
アンソニーの火事エピソードも唐突で、広げすぎた風呂敷を折りたたむ上での一行程に感じられてしまった。
つまり制作時間が足りなかったことを匂わせるには充分だった。

中盤のりそな・遊星の危機的状況下で救世主的に登場したルナ様は、完全に本作メインヒロインであるりそなを食っていたように思う。
この展開をつい最近みたような……
咲き始めは華やかに、役目を終えるとさっと散る桜のようであった。
最後を締めるりそな渾身の衣装は本人の触覚も含めておもわず「バーストリンク!」と叫びそうだった。
▼メリルルート

大蔵家の血が家のしがらみに捉われず、才能を開花するとこうなるという例。大蔵家凄い。
メリルちゃんは天才…もとい天使だった。本当にメリルの純粋性によって支えられているルートだと思う。
シナリオが進めばメリルの周辺を取り巻く愛は、修道院のマザーに対する親子愛から大蔵家の血筋であることが判明した家族愛、そしてコレクションのテーマとなった隣人愛と深化していく。メリルの才能も飛躍していったのだ。
大蔵富士夫側の兄弟にもスポットが当てられており、正気ではいられない大蔵家において衣遠と駿河がどう適応していったのか、明確に描かれている。駿河、アンソニー共に敵でありながら憎めないキャラクター作りは見事だ。
▼エッテルート
ギャグルート。シナリオ量はりそなやメリルに比べて格段に少ない。というより、りそなルートを終えてからエッテルートに進むとエロ→エロ→晩餐会→エンディング…と飛ぶようだ。
話の整合性も結構無理がある。隣の部屋から遊星の声が聞こえた…としつつも、隣の部屋に居て聞こえるってどんだけ耳良いの?とか遊星とりそなは電話の時は日本語で話しているんじゃなかったの?といった疑問が平気で浮かぶ。こういう点を一切無視して本ルートを眺めると、昔からのNavelらしさある笑えるルートだった…といえるのではないか。
男バレ発覚以降のエッテのSっぷりを始めとして、大蔵家への嫁入りがトントン拍子で進むコミカルなノリ、そしてエッテの顔芸。勢いのある台詞回しで爆笑である。軽快な気分で楽しめる。
(まさか大蔵家の納得のよさは他ルート共通とは思わなかったが…)

特に「パリったぁい!」に糞笑ったが、本編では使用されないと宣伝されていたあのフレーズもここに隠されていたのだ。(シーン名:「パリってる?」)
エッテはとにかく善人だ。身近な人に対して与えられる幸せになれば、自分も幸せを感じる。先ほどの話で言えばエッテの愛とは友愛だ。
それは朝日と同じ感性であり、だから彼女は朝日に惹かれた。朝日が男性であることが発覚した際━━同じ感性の男で、今後同じ人に合える確率━━彼女は考えて、あの行動に出たわけだ。
メリルが天使であれば、エッテは人間的な魅力が光る。メリルに向いていた感情をすっと変えた所、その理由を彼女自身の恋愛哲学を織り交ぜながら朝日を論理的に説き伏せるその姿はフランス人そのものであった。
おそらく制作時間があればシナリオはもっと濃いものに出来ただろう。あわよくば、もう少し彼女が報われることが出来なかったのか。LumiLiaは思う。
だが、りそなとメリルのルートが重いだけあって、エッテルートの軽さは雰囲気を明るくし、結果として乙論のバランスの良さに貢献している。
4人の内2人は許せない。だが3人の内1人なら許せる。この感覚はなんとなくおわかり頂けるのではないだろうか。
▼その他ルート
執事エンド、これは女性向けエンドという印象。
キャラクターは弱かったものの、もっと充実したドイツ人ルート、及び地味にロシア人ルートが欲しかったのは私だけでしょうか。

総評:85点
重い話とは裏腹に、テーマは底知れない明るさを持っている。重い所から、だんだんと優しい方向へ、その流れには開放感がある。プレイヤーの心を暖かく包み込み、少しだけ人生を楽しいものと感じさせてくれるのではないだろうか。
━━ああ楽しかった!
つり乙に残された伏線を回収した良作。本質的なテーマはとてもこっ恥ずかしいのに、それが人間ドラマとしてヴェールがかることで高い品質の読み物に仕上がっている。
乙女理論を通じて伝えたかったことは伝わってきた。一方で細部、エッテルートを始めとして、総裁や金子母の納得もあっさりしすぎで、まとめ切れていなかった印象は拭えない。シナリオの完成度はまだまだ高められる余地は合ったのではないかと思う。本作の中心にいるべきはりそなであるはずなのだが、大蔵家の人々の個性が強すぎて、大蔵家とその周辺と揶揄されてもしょうがなかった。
シナリオの粗は残るものの、主要人物の作りこみは見事というほかなく、いずれも魅力あるキャラクターに仕上がっていることで高い水準の品質が維持されていた。
…我々もエロゲーへの愛をわすれてはならないですね!その意思がやがて世界を変えるのです。(…とつり乙は言っている)
■つり乙アペンド
・ルナ…私は恋人関係を選ぶ。乙女理論とは異なった形での兄との和解に寂しさを覚えた。
・ユーシェ…ですわー。ですわー……。
・湊…万人受けする性格、というか湊の良い娘っぷりは本当何なのだろう。ところで八王子さんの特徴ある声はみなづき蓮ですかね?
・瑞穂…花ノ宮家ということで、いずれ絶対に出ると思ったセカジョヒロインが出てきてしまった(立ち絵はなかったが)。討つべし討つべし討つべしで糞笑った。
・大蔵衣遠様の一日…エイプリルフール企画で爆笑したネタだが、衣遠の心情に真に迫ったルートでもある。自らの思想が大蔵家に縛られ、その矛先が遊星に向いていることを衣遠が自覚しており、後悔という選択肢があった事実が判明した点で秀逸。あととんかつ食べたい。
コメント
コメントの投稿